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よくある質問







Q. 「ブータン王国への旅行は"現地ツアーオペレーター"を利用する必要がありますか?
」

A. ブータン王国では国が観光政策を決めており、他国からの旅行者の方は「資格を有する現地ツアーオペレーター」、あるいは「資格を有する現地ツアーオペレーターが認めた国際パートナー(international partners)」を介す必要があります。

・ビザ代行申請について





Q. 「ブータン王国への入国にはビザが必要ですか?」


A. すべての外国からの旅行者は、事前に「資格を有する現地ツアーオペレーター」あるいは「資格を有する現地ツアーオペレーターが認めた国際パートナー(international partners)」を通してビザを発行する必要があります。インドパスポートあるいはVICを有する方、バングラデシュ人民共和国、モルディブ共和国は入国時にビザを取得することが可能です。

・ビザ代行申請について





Q. 「ビザの取得に掛かる費用はいくら?」



A. 40USドルです。「資格を有する現地ツアーオペレーター」あるいは「旅行会社」を通してお支払いください。インドのパスポートあるいはVICを有する方、バングラデシュ人民共和国、モルディブ共和国の方は費用が発生いたしません(2017年現在)。

・ビザ代行申請について





Q.「ブータン王国へはどうやっていくの?」



A. ブータン王国への空路は、バンコク、デリー、カルカッタ、シンガポールなど多数の空港からフライトがあります。ブータンへは現在、ドゥルック航空、ブータンエアラインズの2つの航空会社が運航しており、日本からはバンコク経由が便利です。陸路では3つの入国可能な地点があり、すべてインドの国境沿いにあります。

・旅行プラン 費用例






Q.「1日200米ドル等の公定料金には何が含まれていますか?」


A. 1日200ドル(閑散期)あるいは250ドル(最盛期)の滞在費(2017年度現在)には、3つ星以上の宿泊施設、食費、経験豊富な現地ガイド、国内での移動に際しての交通機関利用費(ドライバー付き)が含まれています。さらに料金には、無償教育、無償医療、貧困緩和などブータン王国の持続可能な発展に寄与していただく65ドルも含まれます。これらのお支払いは、すべて現地ツアーオペレーターによって手配されます。

・旅行プラン 費用例






Q.「旅行代金の支払い方法は?」



A. ブータン政府の規定により、お支払の方法はブータン国内の特定の銀行への振込のみになります。これはブータン政府の管轄官庁が旅行代金が支払われたことをチェックするための措置で、ビザ発給の必要条件となります。振込先銀行口座の詳細は弊社よりご案内します。外国の銀行への振込については、最寄りの銀行にご相談ください。

・ブータン王国について






Q. ブータン王国では、どのような通貨が使われていますか?


A. ブータン通貨は、Ngultrum(ニュルタム、グルタム)と呼ばれています。ブータン国内では、インド・ルピーも流通していますが、500インドルピーと1000インドルピー紙幣は利用出来ませんのでご注意ください。

・ブータン王国について






Q. 「年間でブータン王国に入国できる観光客数に制限はありますか?」


A. 年間で入国可能な観光客数に制限はありません。ブータン政府では自国の文化、伝統、自然環境を守るために、「高付加価値、環境負荷の低い観光」を提唱し、厳しい観光ポリシーを採用しています。この観光ポリシーを採用することで、ブータン王国独自の文化や価値観を尊重していただける旅行者を惹きつけると同時に、旅行者にはブータン王国での忘れがたい貴重な時間をご提供させていただきます。

・ブータン王国について


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ブータン王国について


真実のブータンに触れていただくための知識。


[地理・自然]
ブータン王国は、南アジアの内陸に位置する国です。
ヒマラヤ山脈の東部に位置し、北はチベット自治区、南はインド、西はシッキム州とチベットのチュンビ渓谷​​、東はインドのアルナーチャル・プラデーシュ州に接しています。
ブータン王国は地政学的には南アジアに位置しており、南アジアではモルディブ共和国の次いで人口の少ない国です。首都のティンプーはブータン王国最大の都市ですが、金融の中心はプンツォリにあります。
ブータン王国の地形は、南部に亜熱帯の平原が広がり、北部には7,000メートル(23,000フィート)を超える峰が連なるヒマラヤ山脈の亜高山地帯があります。
ブータンの最高峰はガンカール・プンスムであり、世界においても前人未到の最高峰の一つと言われています。また、手つかずの自然の残るブータン王国は多様な野生動物の宝庫でもあります。



[歴史]
ブータン王国の独立は何世紀にも渡り守られており、その領土は歴史上一度も他国からの植民地化を受けていません。
インドの亜大陸、東南アジア、チベットにかかる古代シルクロードに位置するブータン王国は、初代シャブドゥン・リンポチェを政教両面の統治者とした神権政治を発展させ、仏教を基盤とした国家的アイデンティティーを確立してきました。
しかし、19世紀に起こった内乱を機に、当時のワンチュク朝は国を再統一し、大英帝国との関係も再構築しました。ブータン王国はその後、インドとの戦略的パートナーシップを促進する一方で、勢いを増す中華人民共和国との国境問題を抱えるようになりました。

[政治・経済]
2008年、ブータン王国は絶対王制から立憲君主制に移行し、国会で最初の選挙を行い現在ブータン王国の民主主義を特徴付ける二党制が誕生しました。
ブータン王国の「経済的自由」、「ビジネス環境」、「平和」は、南アジアにおいて第一位です。国民一人当たりの所得は第二位、2016時点では腐敗品式指数が世界でもっとも低い国とも言われています。しかしながら、ブータン王国は引き続き発展途上国であり続けています。輸出の大きなシェアは、水力発電が占めています。


ブータン王国は議会制民主主義の国で、国家元首であるブータン王は "ドラゴンキング"と呼ばれます。外交関係は52カ国、欧州連合(EU)と築いていますが、国連安全保障理事会の常任理事国との正式な外交関係はありません。ブータンは、国際連合(UN)、南アジア地域協力連合(SAARC)、環ベンガル湾多分野経済技術協力(BIMSTEC)、および非同盟運動の参加国です。
ブータン王国軍は、インド軍との広範な軍事関係を維持しています。







ブータン王国の文化


ブータン王国は世界で最も小さな国のひとつですが、文化多様性に非常に富んだ国でもあります。ブータンは、文化に重きをおき、文化継承をすることで独立国家としてのあり方を守っています。



[食生活
]
基本的に食事を振る舞うのは女性で、多くの場合は母親がその役割を担います。食べる前には短くお祈りをして、一口サイズの食べ物を床に置き、その地の精霊や神様に捧げます。

[お葬式
]
故人の死から初七日(7日目)、二七日(14日目)、三七日(21日目)、七七日(49日目)は特に大切な日として考えられており、故人の名前で祈りの旗を立て特別な宗教儀式を行います。
弔は通常火葬で行われますが、ブータン南部は地域により異なることがあります。

[生誕]
生誕
赤子が生まれてから3日目に、新しく生まれた命と母親を訪ねる人々を歓迎し、その後、短い清めの儀式が行われます。ブータンでは、子供は未来を背負う者であり、子供を性別で差別しません。

[結婚]
結婚
結婚は簡素かつ控えめに執り行われます。しかし、新郎新婦の末永い結びつきを願う儀式は行われ、新郎新婦の両親、親戚、友人たちが伝統的な品物をプレゼントします。

[装束]
ブータン人の衣服
ブータンを特徴づける文化の一つに、その伝統的なドレスと何千年と独自に発展してきた衣服があります。男性は、ケラ(Kera)と呼ばれる伝統的なベルトを腰に巻いたゴ(Gho)という衣服を着ます。ゴ(Gho)は膝丈までのローブで、日本の着物に幾分似ています。

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ブータン王国のフェスティバル


ブータンのお祭(ツェチュ)
ツェチュが始まると、村人や一般の参加者がそれぞれの最高級の服を着て地元の寺院や僧院に集まります。


[ジョモラリ・マウンテン・フェスティバル]
ジョモラリ・マウンテン・フェスティバル(Jomolhari Mountain Festival)は、「雪豹保護のための地域活動」と称して、ブータン国内で最も美しいトレッキングルートの1つであるジョモラリ山の麓で開催される2日間に渡る祭典です。

[モンガル・ツェチュ
]
木彫りで有名なこの地域に暮らすツァンラ(Tshanglas)と●●(Kurtoep)は、各部族で異なる言葉を話す先住民族です。モンガルに建てられた新しい城塞は、1953年、第3代ブータン国王ジグミ・ドルジ・ワンチュクにより建てられました。

[ニマルク祭
]
ブータンのお寺・神殿であるラカン(Lhakhang)は、Dasho(※)ゴンポ・ドルジと、Terton Jigme Lingpaの3度目の生まれ変わりと言われるDoring Trulku Jamyang Kunzangにより、1935年に共同設立されました。
二階建ての寺院には聖者グル・リンポチェの壮大な像があり、ニンマ派(Nyingmapa)と●●の壁画で装飾が施されています。
※ Dasho=最高に優れた人の爵位

[ノマドフェスティバル]

現代まで伝統的な暮らしを変わらずに続け、ブータン民族の価値観や文化の大部分を形成してきた誇り高き民族の暮らしを垣間見ることができます。家族の一員となるように石塀の周りに腰を下ろし、伝統的なブータン料理を楽しみます。

[パロ・ツェチュ]

パロ・ツェチュは、近隣地区からも参加者があるほどに魅力的な祭典です。祭り最終日の早朝には、僧たちが巨大なタンカ(thangkha)と呼ばれる刺繍絵画が展示され、城塞の中では仮面舞踊が披露されます。

[ペマガツェル・ツェチュ]

ペマガツェルは、数多くの祭りや民謡で知られる地域です。最も有名な民謡は”Ausa”という曲で、家族、友人、親戚の旅立ちに歌われます。

[プナカ・ツェチュ&DRUBCHEN]

ガワン・ナムゲルは国家としてのブータンの統一者として知られており、国民ブータン国民たらしめる明確な文化的アイデンティティーを与えた人物でした。

[サクテン祭り]

手つかずの自然に囲まれた高地に暮らしている牧畜民族・ブロクパの生活様式は、何年も変わらず受け継がれ、現代もなお、ヤクの飼育と家畜により生計をたてています。サクテン渓谷は、外部からの影響を受けず

[ティンプー・ツェチュ]

1867年、ティンプー・ツェチュがブータン第4代目の統治者Gyalse Tenzin Rabgayにより始められた当時、ツェチュは少数の限られた僧侶による踊りのみで構成されていました。これらは、Zhana chhamとZhana Nga chham(21つの黒帽子の踊り)、Durdag(火葬地の大舞踊)

[トンサ・ツェチュ]

1648年に造られたトンサ・ゾンは、山の尾根に沿って建てられた幾十の階層を持つ巨大な構造の城塞です。東部と西部を結ぶ唯一のルート上にあるトンサ・ゾンは、その位置関係より旅行と貿易の行き交う要所となっています。

[ウラ・ヤクチェ]

伝説によると、ある日老婆が外に腰掛けていたところ、そこにラマが訪れ水を欲しがりました。それに答えた老婆が水を持って外に戻ると、そこにはラマはもうおらず麻袋が一つ置いてありました。老婆が興味本位で袋の中を覗くと、そこには銅像が入っていました。その銅像こそ、毎年飾られているものです。

[ウォンディフォダン・ツェチュ]

毎年恒例の ウォンディフォダン・ツェチュは、 ブータンの歴史上の王であるシャブドゥン・ガワン・ナムギャルが城塞の完成時に開催したことをきっかけに受け継がれています。3日間開催されるこのツェチュには、プナカとティンプーからの人々が参加し、盛大な盛り上がりをみせます。

[ドチュラ・ドラク・ワンジル・フェスティバル]

このお祭りは、首都ティンプーから22キロほど離れたドチュラ峠で毎年12月13日に開催されるお祭りです。 ドチュラ峠は、国内有数の眺望が美しい場所の一つで、ヒマラヤ山脈のパノラマビューを臨むことができます。

[タシガン・ツェチュ]

1651年に建てられたタシガン・ゾンは、近隣地区の政治において極めて重要な役割を担ってきました。17世紀には、 アルナーチャル・プラデーシュ州のタワング地域から起こったチベット人による7回の侵略に耐え、地域一帯を守り抜きました。

[黒首鶴祭中]

毎年恒例のこのお祭りは、絶滅危惧種である黒首鶴への理解とその重要性を広めるべく始まりました。黒首鶴を守る運動とともに、経済福祉の側面や地域の持続的発展に関しての連携を強める目的もあります。

[チョルテン・コラ・フェスティバル]

Dakpa・コラは、2月28日とその15日後に開催され、 Drukpa・コラは毎年3月15日とその30日後に開催されます。

[ゴムコラ・ツェチュ]

ゴンフー(Gomphu)は「瞑想のための洞窟」 、コラ(Kora)は「巡行」という意です。ゴムコラの名前は、聖地として寺院の横の岩肌を削ってつくられた洞窟に由来します。 ゴムコラの伝説は8世紀まで遡ります。

[ハ・サマー・フェスティバル
]
遊牧民の伝統や暮らしを体感できるお祭りです。現地で人気のスポーツや民族料理に触れたり、伝統的な民謡に合わせて踊るなど、現地の暮らしに飛び込んで、一生に一度の思い出をつくってみてはいかがでしょう?

[ジャンぺラカン・フェスティバル]

ジャンぺラカン・フェスティバルは、ブータン王国の中でも最古の寺院の一つで、7世紀頃に王を務めたソンツェン・ガンポにより建立されました。 彼の使命は「Thadhul- Yangdhul」と呼ばれる寺を108寺国境上に立てることで、王国に蔓延する悪霊を制圧することでした。

[クジェ・ツェチュ]

クジェ僧院の歴史は、 シンドゥ・ラージャ王と聖者グル・リンポチェの歴史でもあります。 当時、ブータンを苦しめる悪霊を制圧するためにシンドゥ・ラージャ王が ネパールよりグル・リンポチェを招き、その際にグル・リンポチェはブンタンを訪れこの洞窟で瞑想をしたと言われています。

[ルンツェ・ツェチュ]

この小さな寺院と庵は1552年にNgagi・ワンチュクにより建立され、のちにシャブドゥン・ガワンによる拡大改修され現在の佇まいになりました。 ルンツェにある村々は、他にはない独自性をもつ自分たちの祭りに誇りをもっています。

[ブータン松茸フェスティバル]

自生する松茸の見分け方と収穫方法を学びます。日本のグルメたちを唸らせたブータンの松茸は、中央ブータンに位置するウラ渓谷に自生しています。自然の松茸の香りに誘われて、松茸探しトレッキングにでかけてみてはいかがでしょう。

[メラ・ツェチュ]

手つかずの自然に囲まれた高地に暮らしている牧畜民族・ブロクパの生活様式は、長い間変わらず受け継がれ、現代もなおヤクの飼育と家畜により生計をたてています。また、物々交換をベースにした経済活動は、今なお活発におこなわれています。

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自由なオーダーメイド旅行プランを。


ブータン王国には数々の遺産、文化、神話や伝説が紡がれ、織りなされることで生まれる独特な世界観が広がっています。
そして、何世紀も受け継がれてきた建物や習慣は、現代もなお、人々の暮らしに深く息づいています。

ブータンにあるものはすべて、ありのままで、美しく、独特です。ブータンの人々は高貴な国王を尊敬しており、何世紀もの歴史あるゾン(城塞)や、伝統を色濃く残した色鮮やかな家や町、村を大切にし、「ゴ(Gho)」や「ケラ(Kira)」と呼ばれる伝統的な衣類に身を包みます。
ブータンでは、素晴らしい風景と独特な催事が数多く開催されています。

ブータンでは、静寂、休息、回復のための地を求め訪れる旅行者様に、数多くのアクティビティをご提案することができます。
新婚旅行から心を清める瞑想ツアー、ラフティングやバードウォッチング、サイクリングツアー、大自然を歩くツアーまで、様々な選択肢がございます。
私たちはお客様にとってこの旅が一生一度の忘れられない旅となるよう、数々の特別なツアーパッケージをご提供し、また、お客様それぞれのご要望に合わせたプランのご提案をさせていただきます。

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ドラクサン・ハピネス・ツアー・アンド・トラベルについて



- わたしたちのミッション -


私たちDruaksan Happiness Travelsは、専門家と若手起業家のグループにより構成されており、お客様の豊かなブータン滞在を通して、国民総幸福量の哲学を世界に発信・共有する機会を創出しています。
私たちは下記の目標と使命に基づき、利益重視だけでない、お客様を第一に考えた最良のサービスを提供し続けます。


◆目標:お客様満足

◆使命:質の高いサービスを提供し、お客様のニーズに答える

◆価値基準:良質なサービス:私たちの考える「良質なサービス」とは、お客様の旅を最善で安心なものにすること。そして、「真に幸せの国」と言われるブータン王国を知るきっかけをご提供することです。

◆意義(NEEDS STATEMENT): 近年ブータン王国の観光産業が活性化する中で、良質な観光サービスの需要が増しています。Druksan Happiness Tour&travelはその需要に答え、ブータン王国へ来られる旅行者様に最善のプランをご提供します。近年は国内の旅行代理店数も増えておりますが、私たちはその中でも、お客様のニーズを満たすことのできる代理店の1つとなれることでしょう。 Druksan Happiness Tour&travelには訓練された経験豊富なスタッフがおり、快適な旅をお約束いたします。私たちのCEOは、豊富なビジネスマネジメントの経験のある若手起業家Ricnhen Pelmoです。私たちの母国で刺激的で心地の良い旅行体験をご提供するべく、採用しているすべてのガイドは英語、日本語、フランス語、中国語に堪能で、ブータンの観光産業を長くに渡り支えているメンバーです。


Ricnhen Pelmo, CEO
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